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平和賛成。 ~ ヤマモモ(家内)の日記から









 
 *写真はNIBテレビの「リアルタイム」の特集(2007.8.8)で放映された映像です。

「平和賛成」とは、2002年9月1日に32歳の若さで永眠したミュージシャン槙健一の言葉です。

   平和賛成

   僕等が願う平和とは
   些細な喜びであったり
   夢を掴んだ瞬間であったり
   他人の痛みを感じれる事であったり
   自分の喜びを分け合えることだったり
   心の豊かさのスペースは誰もが違う
   そして僕等の願う平和とは
   武器より軽く持ち易く
   地球より重く大切なものである     槙健一
 

長崎市内では毎月9日、11時2分に防災無線から大島ミチルさん作曲の『千羽鶴』のメロディーが流れます。そのときは目を閉じて静かに祈ります。今日はサイレンとともに手を合わせました。『千羽鶴』は被爆50年の1995年に作曲されたそうです。同じ年、槙健一は長崎原爆の日を思い『リボン』を作り、その年10月に稲佐山で開催された「ワールド・ピース・フェスタ」で『リボン』を歌いました。

主人と私は稲佐山のそのことはそのときは知りませんでした。でも『リボン』は聴いていました。槙健一が1995年4月にデビューしたとき、たまたま車の中でラジオから流れてきた『夢の吹く丘』を聴いて、主人とふたり、長崎出身ですごいいい歌手がでてきたね♪と小躍りしたのですが、それから約半年後に聴いた槙健一の歌が『リボン』でした。そのときも車の移動中で、ラジオから流れてきたのでした。

私は「あっ、槙健一よ!」とはしゃぎましたが、流れてきた『リボン』を聴いてすぐ、この歌は・・・と思い、胸がつまって涙があふれてとまりませんでした。歌を聴いて、あの衝撃は初めてでした。後にも先にも、感動する歌はたくさんあっても、自然と涙がとめどなくあふれるというのは『リボン』だけです。本当に『リボン』を一人でも多くの人に聴いてもらって感じてもらいたいと思います。

それから4年後、いま思えば導かれてという感じで、主人と私は槙さん本人と出会います。そこで、歌だけでなく人柄にも触れて私たちは一層ファンになり、すぐに主人は「槙健一ファンページ」をつくります。槙さんは2002年に天国へ旅立ちましたが、弟の友博さんが遺志を継ぎ、「TATSUMAKI」のメンバーとなって、槙健一の歌を『リボン』を歌い継いでいます。
「TATSUMAKI」は今日は平和公園で『リボン』を歌っています。

*槙健一「2150PAGE」 ~ http://www.interq.or.jp/bass/miya-to/maki/maki.html
*コタパパの槙健一ファンページ ~ http://www.cotapapa.com/maki/
*TATSUMAKIオフィシャルページ ~ http://tatsumakiofficial.web.fc2.com/

*長崎ケーブルテレビの「なんでんcafe」でも、去年特集された「TATSUMAKI 『リボン』~想いを繋ぐ~」が今年も再放送されました。 http://n-log.jp/ncm/199527.html?1220155520

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