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2011年10月 4日

合気道 ~ 文集 2011

合気道の夏休みは今日迄で、明日から稽古が始まります。

そして、後期の稽古始の日は全員がそれぞれの思いを書いた文集の原稿提出日でもあります。いつも提出期限ぎりぎりに書き上げるので、今年は早く済まそうと思ってはいたのですが・・・ 結局、今日になってしまいました(^^;

今年の文集は「リボン」と題して、長崎出身のシンガーソングライター・槙健一さんのことを書きました。

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 リボン

どんなに風の中へ 悲しみ飛ばしても
この長崎(まち)はあの日を忘れない
涙に唄う歌は 明日への希望の歌
心に響けば 天まで届く
そして今 僕らが願いを込めた リポンが風に舞う
今日のために 明日のために 永遠のために ・・・・・・

長崎出身のシンガーソングライター、槙健一さんが作詞・作曲した「リボン」という歌の一部です。毎年8月9日の原爆記念日には「平和を願う歌」として何度も流れますから、一度は耳にされたこともあるかと思います。

「みんなは長崎は素敵な街だと言うけど、この街には原爆が落ちた歴史があって、平和の像が指を高く掲げて平和を祈ってるんだよ」という気持ちを込めて「リボン」という曲が生まれました。

彼を知ったのは、1995年に彼のデビュー曲「夢の吹く丘」を聴いてからです。長崎出身のこんなすばらしいアーティストが居たのかと、とても嬉しく思いました。

それから4年後、彼が体を悪くして長崎に帰り活動していると聞きライブを見に行きました。ライブが終わった後に彼と話をしましたが、彼の真面目で澄んだ目、そして礼儀正しい態度に感心しました。

その帰りに家内と「槙健一を応援をしよう!」と決めました。彼の歌だけでなく人間的な魅力に魅かれてしまったのです。 そして彼のライブを追っかけ、彼の応援ホームページなども作りました。

彼はデビュー前から、肺に穴が開く肺気胸という難病と闘っていました。入退院を繰り返し何度も手術をしながら活動を続けました。晩年は歌を歌うことも出来ない状態でしたが、音楽に対する情熱は高まるばかりで、音楽事務所を設立してプロデュース活動をはじめたばかりでした。しかし、2002年に32歳という若さで亡くなってしまいました。

彼の音楽は今、いろんな形で今も受け継がれています。最近は県内、県外の小学校や中学校でなどでも「リボン」を歌ってくれているところが多くなっています。また、槙さんが残した曲を中心に、弟の友博さんがTATSUMAKIというバンドで活動しています。

これからも、彼が残してくれた名曲「リボン」を始めたくさんの曲は、いつまでも歌い継がれると思います。私も彼が生きている時と同じように応援を続けるつもりです。

・・・ そして、彼がいつも口にしていたのは「戦争反対」ではなく「平和賛成」でした。

 僕等が願う平和とは
 些細な喜びであったり
 夢を掴んだ瞬間であったり
 他人の痛みを感じれる事であったり
 自分の喜びを分け合えることだったり
 心の豊かさのスペースは誰もが違う
 そして僕等の願う平和とは
 武器より軽く持ち易く
 地球より重く大切なものである

                槙健一


2011年9月10日

テープレコーダー 1950年代モデル


sony tapecorder transistorized Model 101(1950年代モデル)

1959年、小学5年生の時に買ってもらったテープレコーダー。もう50年以上も大切に保存しています。当時、小学校に同じテープレコーダーが一台ありましたが、どの位の価格だったのでしょうか。公務員だった父は、そんなに多くない給料からよく買えたものです。

仕事一筋で何一つ贅沢はしない父でしたが、当時の新製品の購入は早かったのです。1950年代後半『三種の神器』といわれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を始めとして電子レンジ、電話、自動車なども町内で一番早かったと思います。

新商品購入が早いといっても、無駄な娯楽品は購入したことは無かったのにテープレコーダーはなぜ買ってくれたのか・・・子供の喜ぶ顔が見たかったのでしょうね(^^ )♪

家にテープレコーダーが届いた日は、家族みんなでテープレコーダーを囲み、それぞれの声を吹き込みました。「お~ 俺こんな声しとると?」などと笑い合った一日でした。

小学生の私はラジオの音楽番組を録音して、音楽趣味に活用していました。今は、録音、コピーが簡単な時代ですから、好きな音楽はいつでも何度でも聴くことができます。私の場合はこの時代からやっていたわけですから贅沢な感じですね。このテープレコーダーを見ると、楽しい昭和の日々がモノクロの世界で思い出されます。

今も人気があるのかYouTubeにも動画がアップされていました。
YouTube - Sony Model 101 - How Sweet It Is!
http://www.youtube.com/watch?v=ZpoLllYnqRs&feature=related

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sony tapecorder transistorized Model 101

「H型」の家庭用普及期をさらに発展させたモデル。小型ですが、7インチリールまで対応しています。ベニヤ材に切り込みを入れてループ状にする技術が導入されており、コーナーはアールで処理されています。キャビネット表面はパターン(模様)をプリントしたビニールレザーが使われ、業務的なイメージを払拭。テープ走行の操作の切り替えもピクトグラム(図形文字)で表記するなど、使いやすさを考えた、簡便なデザインが貫かれています。

2011年8月22日

2002年の独り言から ~ 槙健一

先日は「槙健一さんのリボン」について書きましたが、2002年、彼が亡くなった年に「別れ」と題して彼のことを少し書いています。

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【 別れ 】 2002.9.13

人との出会いは、ときめきがあっていつもうれしい。しかし、人はいつか別れの日を迎えることになる。いつ別れの時がやってくるか分からない。それは予測もせずにやってくる時もあるから、コタ家では「死」の話を息子の小太郎を交えて、日常の会話としてあっさりとやってしまう。

小太郎を可愛がってくれていた父が逝った後、小太郎と父の話をすると「おじいちゃんの話しないでよ。」と怒っていた。父の死に顔を思い出して悲しくなるらしい。しかし今では「お父さんは死んだら、おじいちゃんと同じような死に顔だな、きっと。」などと平気で言うようになった。

もちろん家族みんなが健康で長生きできることが願いだが、今日限りの命になるかもしれないことを覚悟しておけと常々小太郎にも言ってある。

死を理解することで、生きているもの物へのやさしさや、いたわりが生まれてくれればいいと思う。そして、生は有限であることを前向きに認識して、今、与えられている時間がいかに大切であるかを自覚することが出来ればいいなぁと考えている。

突然にやってくる別れをいつも覚悟しておきながら、別れの時は悲しく寂しい。今月1日、私が大好きで応援していた音楽家の槙健一さんが32歳という若さで亡くなった。「独り言」のコーナーに槙さんのことを何か一言書こうと思いながら、今日まで書けなかった。

彼は音楽的な才能はもちろん、人間的にも魅力的な人でこれからの活動を楽しみにしていた。彼の歌を聴くと勇気、希望が湧いてくる。そして人柄のやさしさがこちらにも伝わって、周りの人までやさしい気持ちにしてくれる。この若さでの別れとは誠に残念だが、こんな人と会えたことを感謝している。

槙さん、長い闘病、お疲れさま。
私たちを照らしてくれてありがとう。じゃぁ、またね。

2011年4月12日

インターネットラジオ JAZZRADIO.com

新しいパソコンの音質のよさに驚き、最近はインターネットラジオを聴くことが多くなっています。そのラジオの中でお気に入りは「JAZZRADIO.com 」

ジャズ専門の無料ネットラジオで、クラシック、モダン、メロウ、ビバップ、ビッグバンドといった様々なスタイルやピアノ、ギター、ボーカル等の楽器別、ラテンジャズやボサノヴァまで、全17チャンネルが用意されています。

いつも聴いているチャンネルは「Sinatra Style」
フランク・シナトラの音楽の雰囲気のある曲を中心に流れています。
たとえば下記のような心地よいスタンダードが次々と流れます。

1. Ella Fitzgerald - Cheek To Cheek
2. Stacey Kent - They Can't Take That Away From Me
3. Karrin Allyson - 's Wonderful
4. Dean Martin - All I Do Is Dream Of You
5.Anita O'Day - It Could Happen To You
6.Barbra Streisand & Frank Sinatra - I've Got A Crush On You
7.Renee Olstead - Someone To Watch Over Me
8.Linda Ronstadt - Straighten Up And Fly Right
9.Dinah Washington - These Foolish Things
10.Vic Damone - Till There Was You
11.Peggy Lee - Medley
12.Mel Torme - I Can't Believe That You're In Love

JAZZRADIO.com
http://www.jazzradio.com/

2011年2月21日

やっぱりアナログ


このところレコードを一日中聴いています。レコードの柔らかく温かい音は一日聞き続けても疲れないのです。

CDのデジタル音は鮮明なのでしょうが、やはり人工的な音に聞こえます。長い時間聴くには、レコードの方が心地よく優しい時が流れていく感じがします。

アナログは、同じLPを聴いても装置によって大きく音質が変わります。プレーヤーや針を変えれば違った音になるし、アーム、針圧、ターンテーブル、ターンテーブルシート、ケーブルなどで音が変わるのも楽しみの一つです。(^^♪

写真(左)の上のプレーヤーはJAAZ用、下は主に古いレコード用として使用しています

2011年2月11日

槙健一の誕生日。


今日は一日、槙健一。
1970年2月11日 長崎市に生まれる。
1990年 20歳でドラマーを目指して上京。
24歳からギターを始め作詞作曲をし、ボーカルをとるようになる。
1995年4月21日 ビクターから「夢の吹く丘」でデビュー。
1995年10月1日 ワールドピースフェスタで「リボン」を歌う。
1996年12月12日 第1回ピースビートクラブコンサートを主催。
1999年12月8日 第4回PBCコンサートまで毎年長崎で開催。
2002年9月1日  午前2時28分、槙健一32歳、永眠。
2003年9月6日7日 槙健一を愛する人達の力で、追悼の平和コンサートが開催され、槙健一の意志は引き継がれていく。そして槙健一と槙健一が残した歌は、永遠に輝き続ける。

現在、槙健一の歌「リボン」は、長崎での平和のイベントや世界での平和のイベントでも歌われ、その輪はだんだんと広がっており、全国の小学校などでもイベントで歌われている。

   平和賛成 ( 槙健一の言葉です。)
   僕等が願う平和とは
   些細な喜びであったり
   夢を掴んだ瞬間であったり
   他人の痛みを感じれる事であったり
   自分の喜びを分け合えることだったり
   心の豊かさのスペースは誰もが違う
   そして僕等の願う平和とは
   武器より軽く持ち易く
   地球より重く大切なものである     槙健一

コタパパの槙健一ファンページ
http://www.cotapapa.com/maki/

2010年2月12日

21歳、これからは"品格"も磨いて欲しい

今日は息子の小太郎の誕生日。

誕生祝の品は、彼が欲しいものを前もってリサーチしながら、大体が私自身が欲しいものを選ぶ傾向にあります。子どもの頃に選んだオモチャも、やっぱり私が欲しいオモチャで・・・・一緒に遊べるなぁと思いながら購入していました。(^^ゞ

今回もその流れで、最小のものが好きな私が興味のあった「iPod shuffle」、本体サイズは17.5×45.2×7.8mmで、重量は10.7g。「世界最小のミュージックプレイヤー」です。小さいけれど1000曲保存できて、音質もよく、曲名とアーティスト名を、その国の言葉で教えてくれる優れものです。

私も欲しい~ (^^♪
No.483

2009年11月21日

いやな事はやらない いやな人とは 付き合わない(^^♪

還暦世代の応援歌「僕は還暦」という歌を知ってますか?

歌の中の「いやな事はやらない いやな人とは 付き合わない」というフレーズが、なんとも最近の私の生き方とピッタリで・・・ 「俺のことだぁ」と気に入ってます(^^♪

長崎を中心に音楽活動をする、うどん屋さんとカレー屋さんのバンド「まつもとかんじ&ザ・カレーうどん」が歌っています。

ベースとドラムのお二人は、時津町にあるカレーのお店「タージ」、ギターは「五島うどん」のお店を経営している人達です。

この歌のボーカルは「タージ」のオーナーですが、とてもいい味を出して自分の歌にしています。でも、本人の弁によると「性格は詩の内容とは違います」とのことでしたから「いやな事もやります いやな人とも 付き合います」の方でしょうか(^^;


僕は還暦

僕は還暦 今年で60 これからも宜しく とっても感激
いやな事はやらない いやな人とは 付き合わない
素敵に楽しく これからも生きるさ

この広い世の中 まだまだ 知らない事ばかり
前を向いて進むだけさ 宝さがしの旅はつづく
いやな事はやらない いやな人とは 付き合わない
わがままに しぶとく これからも生きるさ

この広い世の中 まだまだ 知らない事ばかり
前を向いて進むだけさ 宝さがしの旅はつづく
僕は還暦 やんちゃな還暦 夢みる還暦 とっても感激
僕は還暦 今年で60 これからも宜しく まだまだ還暦 とっても感激

2009年11月15日

JAZZと珈琲

好みの色に焼き上げた煎り立ての珈琲を淹れて、好きなJAZZを聴く・・・ 最高です(^^♪

JAZZは高校1年の時に友人に誘われて長崎の浜の町にあった「マイルス」というJAZZ喫茶へ行き、病みつきになりました。それ以来、46年も聴き続けているのですねぇ。

ところで珈琲は何時ごろから飲み始めたのかなぁと考えてみました。

昔は、家庭で飲んでいたのは「リプトンの紅茶」くらいでした(^^;
高校生でJAZZ喫茶へ行って珈琲を注文した記憶もありません。やっぱり飲み始めは、大学生時代に毎日通った東京のジャズ喫茶(66年頃から)だと思います。

JAZZと珈琲との付き合いも40年を越しました(^^♪

このところずっと聴いているのはエディ・ヒギンス。
惜しくも今年8月に77歳で亡くなりましたが、50年代の後半から活躍、上品で聴きやすい演奏でファンの人が多いジャズ・ピアニストです。

日本人好みのジャズ・ピアノで、彼の演奏を聴いていると日本の歌謡曲に聴こえてくるから不思議です。

2009年11月 8日

次代のジャズ界の新星 ~ 女子高校生アルト・サックス・プレーヤー

このところスポーツでも音楽の世界でも才能溢れた若い人が多くなってきました。JAZZの世界でも若い、それも女性の実力あるプレイヤーが登場して、今後が楽しみです。

ジャズ界期待のアルトサックス奏者、寺久保エレナさん(17)は、札幌の高校2年生。中学生の頃から、渡辺貞夫、本田雅人、山下洋輔といったミュージシャンと共演もしています。札幌市内の高校に通う傍ら週末はライブ出演しているといいます。

エレナさんをYouTubeで動画検索していたら和歌山で活動している「あきは・みさきBAND」という高校生のJAZZプレーヤーを発見!

アルト・サックスは、中島あきはさん16歳(高校2年)、ドラムは、中道みさきさん16歳(高校1年)で、あきは・みさきBANDを結成しています。

ちなみにエレナさん、あきはさんの二人とも9歳からサックスを始めたそうです。(^^♪

あきは・みさきBAND
大津ジャズフェスティバル, 2009.11.1
Asax:中島あきは, Drum:中道みさき, Bass:中村裕希, Piano:泉川貴広



あきは・みさきBAND
http://www.tension-note.com/akiha-misaki-band/

2009年11月 1日

今日流している音楽  Matt Dusk - Back In Town

マット・ダスク / バック・イン・タウン

ビッグバンド・サウンドにのせての歌は小気味いいです。

1978年カナダ・トロント生まれ。2007年、アルバム『バック・イン・タウン』で日本デビュー。日本のポップミュージックラジオチャートで1位を獲得、男性ジャズアーティストとしてのポップチャート1位到達は、日本史上初のことだそうです。

Matt Dusk - Back In Town

2009年8月 9日

平和賛成。 ~ ヤマモモ(家内)の日記から









 
 *写真はNIBテレビの「リアルタイム」の特集(2007.8.8)で放映された映像です。

「平和賛成」とは、2002年9月1日に32歳の若さで永眠したミュージシャン槙健一の言葉です。

   平和賛成

   僕等が願う平和とは
   些細な喜びであったり
   夢を掴んだ瞬間であったり
   他人の痛みを感じれる事であったり
   自分の喜びを分け合えることだったり
   心の豊かさのスペースは誰もが違う
   そして僕等の願う平和とは
   武器より軽く持ち易く
   地球より重く大切なものである     槙健一
 

長崎市内では毎月9日、11時2分に防災無線から大島ミチルさん作曲の『千羽鶴』のメロディーが流れます。そのときは目を閉じて静かに祈ります。今日はサイレンとともに手を合わせました。『千羽鶴』は被爆50年の1995年に作曲されたそうです。同じ年、槙健一は長崎原爆の日を思い『リボン』を作り、その年10月に稲佐山で開催された「ワールド・ピース・フェスタ」で『リボン』を歌いました。

主人と私は稲佐山のそのことはそのときは知りませんでした。でも『リボン』は聴いていました。槙健一が1995年4月にデビューしたとき、たまたま車の中でラジオから流れてきた『夢の吹く丘』を聴いて、主人とふたり、長崎出身ですごいいい歌手がでてきたね♪と小躍りしたのですが、それから約半年後に聴いた槙健一の歌が『リボン』でした。そのときも車の移動中で、ラジオから流れてきたのでした。

私は「あっ、槙健一よ!」とはしゃぎましたが、流れてきた『リボン』を聴いてすぐ、この歌は・・・と思い、胸がつまって涙があふれてとまりませんでした。歌を聴いて、あの衝撃は初めてでした。後にも先にも、感動する歌はたくさんあっても、自然と涙がとめどなくあふれるというのは『リボン』だけです。本当に『リボン』を一人でも多くの人に聴いてもらって感じてもらいたいと思います。

それから4年後、いま思えば導かれてという感じで、主人と私は槙さん本人と出会います。そこで、歌だけでなく人柄にも触れて私たちは一層ファンになり、すぐに主人は「槙健一ファンページ」をつくります。槙さんは2002年に天国へ旅立ちましたが、弟の友博さんが遺志を継ぎ、「TATSUMAKI」のメンバーとなって、槙健一の歌を『リボン』を歌い継いでいます。
「TATSUMAKI」は今日は平和公園で『リボン』を歌っています。

*槙健一「2150PAGE」 ~ http://www.interq.or.jp/bass/miya-to/maki/maki.html
*コタパパの槙健一ファンページ ~ http://www.cotapapa.com/maki/
*TATSUMAKIオフィシャルページ ~ http://tatsumakiofficial.web.fc2.com/

*長崎ケーブルテレビの「なんでんcafe」でも、去年特集された「TATSUMAKI 『リボン』~想いを繋ぐ~」が今年も再放送されました。 http://n-log.jp/ncm/199527.html?1220155520

2009年8月 1日

TATSUMAKI 「リボン」~想いを繋ぐ~再放送決定




NCM長崎ケーブルテレビ「なんでんCafe★」では
7月と8月上旬頃までエンディングテーマソングとして「リボン」を放送中です。

また、昨年の特集の再放送が決まりましたのでお知らせいたします。

特集アーカイブス
TATSUMAKI 「リボン」~想いを繋ぐ~

放送8月4日(火)
①17:00~18:00生放送

再放送
②19:00~20:00
③23:00~24:00
④翌朝11:00~12:00  です。

※VTRの最後にはTATSUMAKIメンバーからのVTRコメントもあります。

2009年7月11日

槙健一 リボン

 

2009年7月 9日

HEAL THE WORLD / Michael Jackson

SUPER BOWL(全米人気NO1のプロフットボール選手権大会)のハー フタイムショーで行われたマイケルのLIVEです。いい歌ですね。(^^♪

「HEAL THE WORLD」 Michael Jackson 和訳付き LIVE with Lyric

 

2009年7月 3日

長崎オランダ村のマイケル


オランダ村に家族で遊びに行っているとき、お忍びで来ていたマイケル・ジャクソンを見ました。その時の写真です。

1993年9月8日(水)平日ですから人も少なく、マイケルが来ているからといって人だかりもありませんでした。

新しく入ったアトラクションが目当てだったと思います。写真はそのアトラクションを観に行くマイケルです。
ここではあまり騒がれもせずゆっくりとできたと思います。

長崎オランダ村のマイケル

一世を風靡したマイケル・ジャクソンの訃報は突然のことでした。
1993年に彼を見たことがあります、といってもコンサートではなくオランダ村に家族で遊びに行っているときでした。タレントでも来てるのかな?と見てみるとマイケル・ジャクソンでした。

福岡ドームの公演があり、ハウステンボスに滞在してから福岡入りをしたようで、マイケルがお忍びで遊びに来ていたのです。丁度ハウステンボスには新しいアトラクションが入ったばかりでしたから、それを目当てに来たのではないでしょうか。大のアトラクション好きでしたからね。