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2011年2月24日

合気道 昇段者の面々


初段の賞状を持って笑顔の I さん。
彼女は高校3年生、滋賀県の看護専門学校に進学が決まったそうです。彼女のお母さんも看護士で、親子の夢が叶ったとのこと、オメデト~。

I さんとの稽古は、初段になって初めての稽古でしたが、今までの彼女の技とは大違いでしたヽ(^o^)丿力強さとスピードがグンと増し立派な黒帯の実力になっていました。審査へ向けての稽古で成長したのですね。

男性4人の写真は、今回の審査で段位充可された4段のMさんと2段のNさん、Iさん、Kさん。Mさんは大学時代から合気道を始めたという方ですから、合気道歴は30年を越えているでしょう。

みなさん年頃もよく(^^;責任ある仕事をしている年代。進学校の教師、会社の責任ある部署、あるいは事業展開をしている方など多忙な人たちです。普通であれば週2回の稽古などに時間をとれる訳がないのです。どうにかスケジュールを調整して皆さん参加される継続力は立派だと思います。

2011年2月21日

やっぱりアナログ


このところレコードを一日中聴いています。レコードの柔らかく温かい音は一日聞き続けても疲れないのです。

CDのデジタル音は鮮明なのでしょうが、やはり人工的な音に聞こえます。長い時間聴くには、レコードの方が心地よく優しい時が流れていく感じがします。

アナログは、同じLPを聴いても装置によって大きく音質が変わります。プレーヤーや針を変えれば違った音になるし、アーム、針圧、ターンテーブル、ターンテーブルシート、ケーブルなどで音が変わるのも楽しみの一つです。(^^♪

写真(左)の上のプレーヤーはJAAZ用、下は主に古いレコード用として使用しています

2011年2月12日

父からの提言

小太郎、22歳の誕生日

以下は私から息子への提言です。

今までは成人したとはいっても子供に毛の生えたようなもの、22歳は立派な大人だから「大人の振舞い」をしなさい。

今まで順風満帆、自分の思い通りになってきたようだが、これからは多分「向かい風」になるはず。これからの「向い風に立ち向って進み切れないと「追い風」は吹いて来ない。

これまで楽に生き抜いてきた分、これからは努力をしないと、その先はずっと大変なことになるからね。(^^♪

2011年2月11日

槙健一の誕生日。


今日は一日、槙健一。
1970年2月11日 長崎市に生まれる。
1990年 20歳でドラマーを目指して上京。
24歳からギターを始め作詞作曲をし、ボーカルをとるようになる。
1995年4月21日 ビクターから「夢の吹く丘」でデビュー。
1995年10月1日 ワールドピースフェスタで「リボン」を歌う。
1996年12月12日 第1回ピースビートクラブコンサートを主催。
1999年12月8日 第4回PBCコンサートまで毎年長崎で開催。
2002年9月1日  午前2時28分、槙健一32歳、永眠。
2003年9月6日7日 槙健一を愛する人達の力で、追悼の平和コンサートが開催され、槙健一の意志は引き継がれていく。そして槙健一と槙健一が残した歌は、永遠に輝き続ける。

現在、槙健一の歌「リボン」は、長崎での平和のイベントや世界での平和のイベントでも歌われ、その輪はだんだんと広がっており、全国の小学校などでもイベントで歌われている。

   平和賛成 ( 槙健一の言葉です。)
   僕等が願う平和とは
   些細な喜びであったり
   夢を掴んだ瞬間であったり
   他人の痛みを感じれる事であったり
   自分の喜びを分け合えることだったり
   心の豊かさのスペースは誰もが違う
   そして僕等の願う平和とは
   武器より軽く持ち易く
   地球より重く大切なものである     槙健一

コタパパの槙健一ファンページ
http://www.cotapapa.com/maki/